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登呂遺跡・金原明善

遺跡から見る木の歴史

登呂遺跡写真

登呂遺跡の住居後元

静岡県では、1800年前の弥生時代には既に生活の中に木が活用されていました。これは、「登呂遺跡」から、住居、下駄、農具、矢板などの木材が発見されたことによって判明されたものです。住居や高床倉庫の柱や板はスギ材で、木組みや縄で縛る方法で作られていました。また、約8haの水田には、中央に大畝(おおうね)と呼ばれる矢板や杭で固めた恒久的に使用される畦と水路がありました。このように、静岡県では、古くから生活の中に木が用いられてきた歴史があります。

詳細はこちら「登呂博物館」

静岡県の植林の歴史

金原明善肖像画

金原明善

静岡県の植林の歴史は、この人なくして語れません。日本で有数の森林である静岡県西部地方の「天竜美林」に貢献した人物、金原明善です。

天竜川西岸の豪農の家に生まれた金原明善は、水防の必要性を説き明治7年(1874)天竜川治水事業に私財5万6千円余を投じました。やがて治水事業は、国の直括事業になりました。明善は「治水の基は水源涵養林にある」と林業に転じ、官有林にスギ249万本、ヒノキ49万本を献植し並行して隣接山林にも植林をしました。

森づくりは、苗木づくりから始まります。土を耕し、スギやヒノキの種をまきます。苗ができるまで2年。次に、苗木を植えやすいように、荒れた山をきれいに整理します。そして、苗畑で育てた苗木を植えるという、大変手間のかかる作業です。明善も、作業員の人たちと一緒に山小屋で暮らし、率先して苗木を担ぎ、急斜面に一本一本植えていきました。

また、こうした明善の足跡は、天竜川の山々をはじめ、伊豆の天城山、富士山麓の森づくりと県下各地に及びました。富士市の桑崎でも明善の指導を受けた植林が周辺の組合に受け継がれ、富士山麓の植林は大いに広がりました。これらは、第二次世界大戦中に乱伐されましたが、戦後再び植林されたものが成長し、「富士ヒノキ」として今、伐採の時期を迎えています。

明善は92歳で森づくりに捧げたその生涯を静かに終えましたが、山々に植えられた木々は生長を続けるとともに、明善をまつる明善神社(佐久間町)や、学術参考林(竜山村)として今でも残っています。なお、明善の仕事をたたえて、明善記念館(浜松市)や生まれた家が一般に公開されています。

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※明善記念館(写真提供:金原明善記念館)

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※明善神社(写真提供:金原明善記念館)

詳細はこちら→「金原明善記念館」

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