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文豪達に愛された佇まい、福田家の全景。
「川端康成」縁の宿といえば、天城湯ヶ島町の「湯本館」と、そこからさらに天城峠を抜けた先、河津町湯ヶ野の「福田家」が双璧だろう。今回おじゃましたのは、川端が踊り子達と共に天城峠を超え、最初に宿泊したと言われる、湯ヶ野の福田家。
榧(かや)のマス風呂。
タイルが面白い。
「私が泊まった部屋」川端、縁の部屋。
当時のまま残されている。
玄関内側。
以前は一段高かったという。
玄関先は時間に取り残されたような景色だ。
この向こうで川端がタバコをくゆらせていても、不思議ではない。
今はコンクリート製に掛け替えられた橋で河津川を渡ると、そこがもう福田家の玄関先だ。なんとも素朴な佇まいの玄関に、のっけから期待で胸が躍ってしまった。創業が明治12年というから、およそ120年の時を経ている。時という重みは、空間をこれほど印象的なものに昇華させるのかと思い知らされる。特別な意匠をこらさなくても、不思議な存在感が醸し出されるのだ。
玄関戸をくぐると、木の天井がやけに低く感じられる。早速、女将に伺うと、「これでも高くしたのですよ。創業当時はもっと低く、天井を上げるわけにはいかないので、床を下げたのです。」という答え。これが当時の粋なのだろう。現在の床を下げた高さでも2メートルに満たない。なるほど、文人がこだわった宿とはこういうものか、と妙に納得。この隠れ家のような造りが、他人にじゃまされる事なく執筆を続けられた理由のひとつなのだ。
榧(かや)のマス風呂も見事のひと言に尽きる。創業当時のままというこの空間、こちらは玄関ロビーと打って変わって天井が相当に高い。というより、地下に作られた湯船なのだ。階段を降りて湯に浸かるというちょっと変わった趣向が、一度は浸かってみたいと思わせる。
福田家には、川端にまつわる資料が数多くあり、これらも一見の価値がある。「私」の泊まった部屋、と名付けられている川端が投宿した部屋は、しん、と落ち着き払った素敵な空間があった。しかし、何より印象的だったのは、時代とともに変わってきたこと、変わらないできたことが、違和感なく溶け込んでいるそのさまだ。あらゆる事情を受け入れてきた柔軟性。歴史や時代の価値を確実に受け継いできたこだわり。この融合こそ、木の家のもつ特性であり、多くの人に愛される理由でもあるのだ。
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