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中瀬邸外観。右側は蔵。
なまこ壁は松崎町の顔だ。
松崎町大沢川の最下流部。潮の香りが鼻をくすぐり始めるあたり、ときわ大橋のたもとに中瀬邸はある。古い時計塔、なまこ壁が目印。昭和54年までは「依田直吉邸」と呼ばれ、一族の方が実際に住んでいたそうだ。その後、これだけの建物を取り壊すのは忍びない、ということで町が買い上げることに。今は資料館、休息所を備えたインフォメーションセンターとして生まれ変わっている。
居間。
廊下にある、採光窓。
母屋と離れを結ぶ、渡り廊下。
これは、中庭から見た景色。
外側の風景と、全くの別物。
海に近いこともあって、風雨に強いなまこ壁は、松崎の町にふつうに見られる。中瀬邸も例外ではなく、裏庭に面した部分を除けば、外壁はなまこ壁で覆われている。お話を聞かせてくれたのは松崎町振興公社の鈴木誠さん。維持管理などのご苦労を訊ねてみる。
「家を守るという点では、この建物は基本的に非常に優れたものですから大きな補修は必要ありません。しかし、細かな補修は日常的にあります。」ということだった。また、長八美術館があり、漆喰文化がいきづく松崎町には、優れた左官職人が今もなお多くおり、人手には事欠かないという。そういえば、館内には伝統工芸の実演として、漆喰芸術の大家、山本堪一氏の娘さんがその指導に当たっていた。
呉服問屋として建てられた中瀬邸には、興味深い点が数多く見られる。資料によると、洋釘と和釘の入れ替え時期に建てられたもので、建築時期のわずか1年というズレが、使われている釘に顕著に表れている、ということだ。明治19年を境に、釘の和洋に入れ替えがあった事を裏付ける釘の使い方が発見されている。
貴重な資料的価値を内包しながら、形態は変わっても多くの人で賑わいを見せる中瀬邸。なまこ壁と松崎のまちを愛する人たちの手によって、いつまでも朽ちることなく、その「キリッ」とした佇まいを残してゆくのだろう。ちなみに、「中瀬」とは、「屋号」もしくは、「土地の名称」とも言われているそうだが、未だはっきりした答えはない。
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