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北河家の全容
大井川の左岸、島田市稲荷。明治29年築の赤煉瓦造りの工場が、ノスタルジックな風景をつくっている。木材を原料にした塗料等を製造する、その北河製品所の経営者は工場脇にある明治2年建築といわれる住宅に代々住み継いできた。
早春の朝、玄関へ伺う。奥様に導かれ、家に足を踏み入れる。と同時に、目の前に広がる空間に圧倒され足が止まってしまった。どうぞこちらへ、と促されても、しばし土間の空間を仰ぎ見ていた。「ついこの前改築して、ここ(土間)を境に、東に息子夫婦と孫が、西に私たちが暮らしています。」と奥様。なるほど、新旧の木と漆喰が違和感なく調和した空間が“住み継ぎ”を表現している。
ここまで広大な土間。
風格ある長屋門。
茶室
改築の違和感がない、
東側の若夫婦世帯。
手を加えない味わい、
西側の親世帯。
ここが南にある正規の玄関。
応接間でご主人の北河静夫さんと奥様にお話を、と思いきや息子さんご夫婦も話に加わっていただき、賑やかに会話が弾む。「いわゆる昔ながらの田の字型、だだっ広くて、夏涼しく冬涼しい(笑)という典型的な家でして。」とご主人。「お客様を主体に考えた家ですから、使えない部屋が多くて。」と奥様。嫁いできた方の感想を若奥様に聞くと、「ぜーんぜん平気でした。両親の実家がこういう家でしたから。」と意外な答え。「ただ、広すぎて家の中の移動が大変です。最短距離の移動方法、往復しない家事の段取りが、頭の中にプログラムされています。」と笑う。続けて「人間の慣れや適応力ってすごい。大変っていっても日常がそうなら適応しちゃうんです。」
若夫婦は、南側にあるゲストハウスとして使われてきた別棟に15年生活した。ただ、別棟でさえ広く、また耐震の問題もあったことから、昨年同じ棟に住むことを決め、秋から改築を開始。この1月に完成した。しかし、この家をいじるのは難易度の高い仕事だったろう。誰が担当したのかご主人に聞くと「若い女性の建築士。」と意外な答えが返ってきた。「ウチの赤煉瓦の工場に建築的価値があるって見学に来た、古民家再生の設計事務所に勤めていた方でね。思い出して連絡をとったら今は住宅会社に勤めてたから、そのままお願いしました。」彼女にとっては、なんとも幸せな仕事の依頼だ。
「そりゃこの大きさと広さと古さだから、掃除や補修ばかりで面倒だけど、今は相続税のことで頭が痛い(笑)。なんとかして欲しいよ。」というご主人の、締めの言葉がまたいい。「東京に出張にいくと酸素が足りなくてさ、すぐ帰ってきちゃうんだ。ここだと酸素がいっぱいあるしね。」なるほど、木の家は“呼吸する家”だとよく言ったものだ。
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