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プロフィール
脱都会生活を望んだご主人の転職を契機に、横浜から静岡市郊外の静かな山里に移り住んだのが平成3年。犬の散歩で農道を歩くうちに、山仕事の人たちと知り合いになる。焚き火をかこみながら色々な話をするうちに「炭焼」の話がでた。金丸さんが興味を示すと、ドラム缶でも炭が焼けるとドラム缶を家に運んでくれた。これを契機に金丸さんは、炭焼きに取り組むことになる。
本格的な炭焼きに入るまえの燻焙した竹。
焼く温度によってひび割れなどが生じる。
工芸志向の炭焼きをめざした作品群。
伝統の炭焼き技術を守りたいという金丸さん。
伝統の炭焼きの技を、大切に伝えていきたい。
「昔は炭焼きなんて、恥ずかしくてとても人に話せる仕事じゃなかった」と土地の人はいう。収入を補うための下等な仕事に思われていた。しかし金丸さんには、そうは思えなかった。適度に木を切って陽光を入れないと山は育たない。炭焼きは山を守っている。そんな思いが強かったという。ドラム缶で炭を焼き始めたのが平成4年。当時、土地の人でも炭を焼くことができたのは70歳以上の老人しかいなかった。「このままでは、伝統の技が途絶えてしまう。伝統の技は遊びで伝えていけるものじゃない」。気軽な気持ちでスタートした炭焼きだったが、金丸さんは意を決した。
平成8年、本格的に窯の製作に着手。話を聞きつけて集まってくれた協力者の尽力もあり、本格的な窯での炭焼きをはじめることになった。燃料としての炭は、既に中国やベトナムなど海外から安い製品が入っていたので、脱臭効果や酸化防止剤、電磁波遮断、水の浄化作用など、高機能な炭の特性を生かし、古くて新しい炭の魅力を引き出せるように考えた。経済としても回っていかなければ、金丸さんにとって炭焼きの意味がなかったのだ。しかし、なかなか納得のいく竹炭はできない。炭を焼く時間、温度など、火力をコントロールするのが難しかった。銀色の美しい炭が焼けるようになるまで、色々な人にアドバイスを求め、一年半ほどの歳月を費やした。
「11月から1月に竹を切り、窯に火を入れるのは、月に一回半。近頃は、あくせく焼かないようにした」という金丸さん。ゆっくり、丁寧に、いいモノを出していきたいという。そんな金丸さんが、いま力を入れているのは、工芸やアートの分野での可能性。「将来はインターネットで美術館を開きたい」と夢を語ってくれた。
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