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プロフィール
製材業の創業は明治22年。歴史ある家業を継ぎ、国産材にこだわって、川上から川下までスギ・ヒノキに関わる全てを扱っていくという影山さん。林業から製材、住宅建築、家具製造と、その領域は広大。天竜材を活用した住まいづくりにも力を注ぐ。
さながら木の魅力をエンドユーザーに伝えひろめる、伝道師のような活躍ぶりだ。
デザインに合わせて必要な板材を加工する。
ノコの目立てのできる人は少なくなった。
目の細かい方が「組子」用のノコギリ。
国産材を使える仕事だと、職人の気の入り方も一味違う。
昭和40年代に入ると、建具業界の状況は日ごとに良くなっていった。建具の値段も1000円のものが、半年後には1800円は取れるようになる。日本全体が好景気にわいていた。「関東の職人は腕が立つ」という当時の評判も手伝って、逗子や湯河原など神奈川県で職人の腕を磨いてきた竹内さんの仕事は順調に発展していった。「まだ入れるつもりではなかった工作用の機械がいきなり導入され、月賦で返す生活が始まった時は不安にもなったけれど、時代が良かった」という竹内さん。月ごとに増える稼ぎで、返済は簡単に終わった。
建具職人の仕事は、施主さんの予算や意向を聞くところから始まる。それに対するデザイン案や、使用する素材などを打ち合わせ、概略が決まったところで製作に着手する。職人としての腕の見せどころは、組子という、細引きの板を組み合わせて図案を形にする細工だそうだ。「全体のイメージや予算が決まると、後は自分の勝手。仕事が進むうちに自然に気が入り、やっぱり手は抜けない」と笑う竹内さん。予算のことを忘れて仕事に没頭してしまうという。特に国産材を使用した仕事は、気の入り方が違うということだ。
昔の本格的な木造住宅なら、一軒で200本程の仕事が生まれたという。現在では木造住宅でも80〜100本。ハウスメーカー系列の住宅では7〜8本。アルミサッシや新建材のドアなどに押され、手造りの建具の数は激減している。建具業界も厳しい状況だが、平成13年ごろから、少し状況が変わってきたそうだ。「学校や公共の建物で、木の良さが見直されて木製品が増えています。施主さんも、木にこだわる人が増えてきました」と竹内さん。健康への配慮や、自然保護への注目が集まるなか、木を取り巻く環境にも明るい日差しが見え始めている。
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